会報『ブラジル特報』 2009年1月号掲載

筒井 茂樹(CAMPO社 諮問委員)


 

 いま世界の食糧危機が顕在化する中、日本とブラジルのナシヨナル・プロジェクト、PRODECERにあらためて注目が集まっている。セラードはブラジル国土の24%(2億400万ヘクタール)を占める作物栽培には適さない不毛の土地として、PRODECERが始まった1978年まで未開のまま取り残されて来た。1973年の第一次石油ショックの物不足に加え同年米国による大豆禁輸で世界の食糧不安が広まる中、1974年9月にブラジルを訪問した田中角栄首相とガイゼル大統領の間でセラード共同開発の覚書が調印され、1978年日本側官民投資会社JADECOが、またブラジル側官民投資会社brASAGROが設立され、同時にPRODECERの実施機関としてJADECO 49%、brASAGRO 51%の出資で設立されたCAMPOが今私が勤める会社である。1979年以降CAMPOは3回の開発事業を通じ、セラード7州で35万ヘクタールの耕地を開拓した。その間皆無に近かったセラードの大豆生産は2008年には3,130万トンに達し、世界の14%、ブラジルの53%を生産する世界最大の穀倉地帯に変貌した。その結果、ブラジルは米国に次ぐ世界第二の生産国になり、大豆の輸入国であったブラジルは今や、世界最大の輸出国になり、2007年の大豆マメの輸出は2,372万トン、大豆粕は1,248万トンで世界一、大豆油も234万トンで米国に次ぐ第二位の輸出国になった。

現在セラードの耕地は1,000万ヘクタールを超えた。しかしセラード面積のうち農耕可能面積(1憶2,700万ヘクタール)に占める既耕地面積は10%にも満たず、未だセラードには無限に近い土地が残っている。一方セラードの3大技術革新は種子の改良、土壌の改良、セントラル・ピボットによる大規模灌漑であり、セラード地帯の植え付け面積の拡大に加え大豆の生産性を向上させ(1975年0.5~1トンから2008年2.5~3トン/ヘクタールに)、スケールメリットと精密農業技術の導入は、ブラジル大豆を世界一の国際競争力のある製品にした。PRODECERは以上の経済効果のみならず内陸部の経済人口を定着増大させた社会開発事業でもあった。また世界の食糧安全保障にも大きな貢献をしたプロジェクトでもあった。もしPRODECERの存在がなければブラジル農業の今日はなかったし、世界一の食糧輸入国になった中国向けブラジル大豆の輸出も不可能であった。遡れば、100年にわたる日本の農業移民の貢献があったからだと2004年ルーラ大統領が訪中前、親日家のエリーゼル元大臣と二人で大統領に会い説明させて頂いた。最大の問題であったPRODECER農家の重債務問題も数年前から始まった中国の需要の増大により世界の大豆相場が急騰し、農家は土地を売り累積債務を返済した余剰金で安い土地に買い換え、重債務問題も解決をみた。2001年PRODECERが終了し、2002年JADECOは解散し、社員組合、日系企業4社、日本企業2社がJADECOに代わるCAMPOの新株主となった。新生CAMPOは、25年間のPRODECERで蓄積したセラードの情報、経験 技術、ノウハウを持つ唯一の会社として、ブラジル内外の農業開発プロジェクトに参加し役立っている。既に海外でエクアドル、ベネズエラ、アンゴラ、モザンビークで農業開発プロジェクトを受注、実施中である。またアジア中近東の国からも協力依頼の話が来ている。PRODECER自体は終わったが、CAMPOは世界の食糧増産に貢献し続けている。

未開墾のセラード風景 セントラルピボットによる大規模灌漑風景

セラードがブラジル生産量の約半分を占める大豆の畑