会報『ブラジル特報』 2008年
1月号掲載

                    岸和田仁(在ブラジル、レシーフェ)


かつてマルクス主義者たちから「帝国主義的歴史学」と批判された「アナール派」も今や異端から体制派へ“昇格”したが、その中心的存在である歴史学の泰斗フェルナン・ブローデルの主著『地中海』は今更いうまでもないことだが不朽の名著だ。一国ナショナリズムにとらわれた欧州中心史観をふっ飛ばしただけでなく、地理学を援用して地中海における自然環境と人間との間の破壊的かつ創造的な関係を明らかにし、彼の史観を特徴づける、経済的自立空間を意味する「経済=世界」の一つである地中海の社会史を豊穣な文体で叙述した作品であり、月並みないい方だが、歴史学作品のモデルといえるものだ。評者もかつてその量に正直なところ辟易しつつ読み進んだことを思い出す。

 この大部な著作が、関連文献も手元に一冊も無い状況下、全くの記憶だけを頼りに捕虜収容所でノートに書き留められた、という事実自体が驚異的であるが、ブローデルがその壮大な社会史を構想するに至るには、二つの触媒的経験が必要であった。アルジェリアとブラジルである。大学卒業後すぐにアルジェリアのリセ教員となった彼は南から地中海を眺め、
1935年から3年間サンパウロ大学に招聘された彼は大西洋の向こう側から欧州を遠視するという経験をしている。その彼のブラジル関連論文が、このたび日本語で読めることになり、原文で読む手間が省けた評者としては感激しながら読ませていただいた。

 『ブローデル歴史集成
III 日常の歴史』(浜名優美監訳、藤原書店)には、彼の自伝的メモ「私の歴史家稼業」や歴史教育論、アナールにまつわる諸論、マルクスなど人物論はじめ多様な論文が収められているが、やはり評者は、ジルベルト・フレイレ論、カイオ・プラード論や「ラテンアメリカは一つなのか」、「バイアのブラジルにて」などのアメリカ大陸論に興奮したと告白しておく。もちろん今日の研究レベルから、ブローデルのブラジル理解の“間違い”を指摘することは容易であるが、読者がまず読み取るべきことは彼の知的軌跡におけるブラジルの重要性であろう。

 「私はブラジルで知性を磨かれた」と述べたブローデルは、サンパウロ時代を回想して「夢のような三年間」を過ごしたブラジルは「執筆を思索のための天国」で、「文明史の一般講義を担当しながら愛すべき学生たちを得た」と記している。その後多くのブラジル人留学生をパリの高等研究院に受け入れているので、まさにブラジルの学生を愛したといえよう。これは同時期サンパウロ大学で教えていたレヴィ=ストロースが、その『悲しき熱帯』のなかで、「学生たちは、私たちから逃れるかと思えば私たちにへつらい、或る時は虜になり、或る時は反抗した」し、彼らは「過去の一切の知的饗宴に無頓着で」新しい理論ばかり追いかけている、と皮肉っぽく書き記しているのと対照的だ。二人とも「古きよき時代のブラジル」を経験したのであるが、ブラジル人知識人を育成した点ではブローデルのほうが教育者として優れていたといえよう。

 高校生向け世界史講義のなかでブラジルを「おそらく最も人間主義的な国」(『文明の文法』みすず書房)と記したブローデルは、「アメリカのヨーロッパである」ブラジルの社会や歴史の「真の相貌を明らかにしようとしてきた偉大で優れた著作の系譜」として、特にジルベルト・フレイレとカイオ・プラードを高く評価している。

 
いずれにせよ、この『歴史集成』第三弾はブラジルに関心を持つ者にとっては必読書である。ただ、ちょっとクレームさせていただきたいのは、フレイレ『大邸宅と奴隷小屋』のイタリア語版に付されたブローデルの序文が収録されていないことと、ジョルジ・アマードが「ホルヘ・アマド」地名のシケ・シケが「チケ・チケ」というように現地表記のチェックが少々不良であること、についてである。