会報『ブラジル特報』 2007年
3月号掲載
            

                              佐藤 美由紀 (杏林大学総合政策学部助教授)


2月6日、7年半前に浜松で高校生をひき逃げしブラジルに帰国したミルトン・ノボル・ヒガキ被告人の初公判が開かれた。日本での裁判・処罰を可能にする引き渡しをブラジル政府が行わないためである。この事件に限らず、逃亡ブラジル人犯罪者についての報道が増え、そのたびに、日本への引き渡しの障害となっているのが自国民の引き渡しを禁ずるブラジル憲法の規定であると報じられる。こういう形で、ブラジル憲法は、この部分だけが、マスコミを通じてすっかり有名になった。ブラジルの法規定について日本人に知識が増えること自体は喜ばしいことであるが、まるで犯罪者の「逃げ得」を許しているのがブラジル憲法の引き渡し禁止規定であるかのような誤解すら生じているのは問題である。そこで、この誤解を解いて、ブラジル憲法の引き渡し禁止規定の意味するところとその運用について知って頂く、という趣旨で本稿を執筆してみた。

たしかに、現行1988年ブラジル憲法の第5条LIは、「いかなるブラジル人も引き渡しを受けることはない」と定め、判例・学説でも、これを引き渡しの絶対的禁止と位置付けている。絶対的禁止というのは、出生によるブラジル人であれば、犯罪の種類を問うこともなく、例外なく引き渡しを被らないということである。もっとも、自国民の引き渡し禁止は、なにもブラジルの専売特許ではない。18世紀から、自国民の不引き渡しは、ヨーロッパ大陸ではむしろ主流であった。第二次世界大戦後はやや緩和されるが、それでもイタリアやドイツでは、憲法に自国民の原則的引き渡し禁止が明示されている。

また、憲法に明文の不引き渡しについての文言がなかろうと、一般に引き渡しは相手国との間に引き渡し条約がなければなされないものである。引き渡し条約は、自国民を引き渡しても相手国が適正な裁判を行い適切に行刑に処するという相互の信頼のある国同士が結ぶものであり、日本の場合も引き渡し条約を締結しているのは米国と韓国だけであって、それ以外の国に対しては日本も犯罪者を引き渡さない。

ブラジルの場合、憲法で自国民の引き渡しの絶対的禁止を定めている以上、条約による解決はない。ブラジル連邦最高裁も、憲法と引き渡し条約との関係について、憲法が条約に優位することを明言している。つまり、仮に引き渡し条約があっても、自国民の引き渡しは憲法に禁止されている以上、引き渡しを連邦最高裁が認めることはないということである。

引き渡し禁止が一般的なヨーロッパの原則であるとはいっても、ヨーロッパの潮流とブラジルのそれとが軌を一にしているわけではない。現在でこそ、出生によるブラジル人について引き渡しが絶対的に禁止されるものの、ブラジル独立後最初の帝国憲法(1824年)および共和制移行後の最初の憲法(1891年)の施行時には、憲法で自国民の引き渡しの禁止は定められておらず、むしろ、20世紀初頭の下位の法律においても自国民の引き渡しが明示されていたのであり、実際に、連邦最高裁判所は自国民を引き渡す判断を下していた。しかし、ヴァルガスがクーデターにより政権を握り、その意向を反映して制定された1934年憲法によって、初めて自国民の引き渡しが禁止された。それ以降、引き渡し禁止は、後続の憲法によっても引き継がれる伝統となったのである。

一般に、自国民の不引き渡しという発想の基礎には、他国の裁判所で不公平な扱いを受けるかもしれないという不信があり、また、国家の尊厳や国民保護義務が引き渡しによって損なわれる、という危惧がある。ブラジルがヴァルガス時代に自国民の引き渡しを禁じる方向に転じたのも、この時期のナショナリズムの流れに沿う、そうした不信や危惧の現われと見ることができよう。それはまた、やや遅れてきた、引き渡しについてのヨーロッパの潮流への同調でもあった。

とはいえ、自国民の不引き渡しの決断は、他国において犯罪を遂行した自国民を不処罰とする、という犯罪者に甘い法制をもたらすものではもとよりない。他国の裁判所に自国民を引き渡すことは禁じる以上は、その代わりにブラジル国内の裁判所でその犯罪を裁く、という選択であるに過ぎない。それは、1934年憲法以来の引き渡し禁止規定を具体化した、1938年「引き渡し・追放法」に明確に記されている。「1条 外国により請求されたブラジル人の引き渡しは、いかなる場合であっても行われない。・・・・・・補項2 ブラジル人の引き渡しが拒絶された場合、訴追された事実がブラジル法においても犯罪を構成する場合には、ブラジルにおいて裁判される。」

国際法的理解からいっても、不引き渡しの確立にともなう代理処罰の設置は道理にかなっている。もともと、引き渡し禁止にともなう問題点を解消するための代理処罰については、17世紀のグロティウスの昔から、考案されていた。ブラジルにおいても、自国民引き渡しの禁止と引き換えとして代理処罰はこれと対をなして導入されたというわけである。

ブラジルの現行刑法でも、国外犯処罰規定が置かれ、代理処罰の根拠となっており、また刑事訴訟法も、それを前提に国外犯についての管轄裁判所の規定を置いている。

実際に、ブラジルの連邦最高裁においても、自国民引き渡し禁止は絶対的であるけれども、それは不処罰を認めるのではなく、自国における裁判と引き換えであることが、ことあるごとに判決で述べられている。

すでに 『ブラジル特報』 2006年9月号で細江さんが書いておられるが
〔「来日外国人犯罪対策としての司法共助、代理処罰制度について」 細江 葉子
(国連アジア極東犯罪防止研修所)〕、代理処罰は次善の策という消極的なものにとどまらず、被告人の裁判・行刑上の処遇を考えれば、積極的メリットも少なくない。 もっとも、犯罪を行った国の刑罰と代理処罰との間に相違が生ずることは否定できない。例えば、日本には死刑があるが、ブラジルには憲法上の原則として死刑がない。また、刑の執行方法についても、ブラジルでは、初犯で禁錮8年以下であれば、刑務所に収監されずに執行される。ひき逃げの場合、日本でなら5年以下の懲役、50万円以下の罰金であるが、ブラジルではひき逃げ(致死・救護義務違反)は2年8ヶ月から6年の禁錮であるから、初犯であれば、刑務所に収監されずに、農場や工場での労働に従事したり、通常の労働や勉学に勤しみながら夜間や週末を監視のない自律的施設で過ごす形で執行されたり、あるいは自宅で日常生活を送りながら宣告刑1日あたり1時間の社会奉仕  を公的施設で行うことで、実刑に代替することがなされる。

日本に滞在するブラジル人は30万人を超える。人が増えればその中から犯罪者が現れても不思議ではない。犯罪の容疑者の多くは日本で逮捕されるが、92人はブラジルに逃亡した。しかし、引き渡しを禁ずる憲法をもっていようと、彼らを不処罰としたいとはブラジルも思ってはいない。ただ、不引き渡しと引き換えの代理処罰では、手数がかかる上に、刑罰に両国で差異が生ずる。しかし、日本で想定される刑罰よりも軽い処遇がブラジル人犯罪者に課された場合、その不満を不引き渡し規定や代理処罰、ブラジル交通法や刑法にぶつけるのはいささか見当違いである。それよりも、その差異はどこから来るのかを問うことを通じて、ブラジルの犯罪事情、行刑の状況、交通事情等々に関心を向け、ブラジルという国の理解が断片から全体へと繋がる建設的方向に向かうことを期待したい。