会報『ブラジル特報』 2006年
9月号掲載
                       赤嶺 尚由
(ソールナセンテ人材銀行代表-在サンパウロ)


ブラジルでは、今年10月1日に大統領、上下両院議員、州知事、州議員を含む総選挙が全国27州で実施される。現在のこの国の人口は、約1億8,000万人、有権者は、その中の約1億2,000万人と見られるから、投票率が義務制ということに後押しされて、仮に80%に達すると仮定すれば、9,600万人内外の国民が参加するという4年に1度の最も規模の大きい政治イベントが行われることになる。

ここでは、特に大統領選挙に焦点を当てたい。ブラジルが1985年に軍政から民政に復帰後、大統領選挙が実施されるのは、今回で6回目を数えるが、そのうちの1回は、国会での間接選挙だったから、国民総参加型の直接選挙は、5回目となり、97年に憲法修正案が承認され、それまで5年の大統領の任期を4年に短縮する代わり、再選続投を認めるようになってから、98年にフェルナンド・エンリッケ・カルドーゾ(以下FHCと略)大統領が初めて再選されており、今年も、ルイス・イナシオ・ルラ・ダ・シルバ大統領(以下ルーラと略)の再選続投に注目を集めている。

これまで再選続投となったケースは1回しかないが、今回も現役であるルーラ大統領が圧倒的に有利な形勢で選挙運動を展開してきている。それは、現役の大統領と副大統領にのみ、国政面に支障をきたさないためにという理由をもって、投票日の6ヵ月前に辞任することを義務付けていないからだ。したがって、現役の大統領というポストに就いたまま、言葉を換えていえば、行政マシーンをフルに活用しながら、再選続投のための選挙運動を行うことが可能になるということである。

例えば、最も強敵である最大野党連合の PSDB-PFL 陣営のアウキミン候補(前サンパウロ州知事)以下の候補と比べると、50m先に立って用意ドンとスタートの合図をするのに等しい選挙規程となっている。具体的な例を挙げるとすれば、大統領専用機を使って地方遊説に出かけ、まだ工事進行中の構造物の落成式に出席しているところをマスコミにニュースとして報道させることも可能であり、どこまでが現職の大統領なのか、また、どこからが再選続投を狙う大統領候補なのか、その境界線がすっかりぼやけてしまっている感じもする。

そういった弊害を無くするには、思い切った政治制度の改革しかないことがすでに指摘されている。現在、この国の政界で、最も常識的な政治改革として、論議されようとしているのは、大統領の任期を現在の4年から再び5年に戻し、その代わり、再選続投の規定を廃止することである。しかし、前 FHC 政権が任期中の97年に勝手に再選規定を盛り込んだ憲法修正案を持ち出し、いろんな手段を使って承認に持ち込んだように、政治改革は、他の改革よりも、各政党、なかんずく時の政権を担当する政党の利害に直結するため、一筋縄では、運ばない複雑な側面がある。

再選続投のチャンスを懸命に模索するルーラ現大統領のこれまでの選挙運動中に目立つことは、とりわけ、過去4回の大統領選挙への出馬を通じて培ってきたカリスマ性というか国民的人気が、数々の不正汚職事件に巻き込まれるという厳しい試練に遭っても、一向に衰えていないという点である。98年の大統領選挙では、PSDB-PFLの与党連合下で、再選を狙う FHC 現大統領(当時)に3回目の挑戦をして、返り討ちに遭ったが、2002年には、同じく PSDB-PFL 与党連合の支持を受けたジョゼ・セーラ候補(現サンパウロ州知事候補)と初対決し、大差で大統領に初当選を果たし、20年以上にわたる労働組合の指導者が初めて左翼系の PT(労働者党)政権を樹立した。

ルーラ大統領の政権発足にあたっての公約は、先ずこの国を一般国民にとって、住み易くするために、ムダンサ(変革)の旗色を鮮明にさせると高々に宣言した。しかし、そういった公約のほとんどが構造改革の不徹底、もしくは単なる不履行が原因で不調に終わり、いわゆる公約違反となったケースが特に行政面で数多く指摘されている。さらに、規模の大きいいくつかの政治不正汚職にまきこまれるという予期せぬ出来事にも見舞われ、官房長官や大蔵大臣をはじめ、側近中の側近だった主要閣僚がほぼ総退陣する形になり、一時はその政権基盤さえ、揺るがせかねないと懸念もされた。しかし、いざ選挙運動が始まってみると、そのカリスマ性や世論調査の面での支持率は、依然として高水準を保ち、ルーラ候補の政治生命を左右するには至っていない模様だ。

今後の焦点は、8月15日から開始され、10月1日の第1次投票日の直前まで、45日間にわたって続く TV やラジオを通じての無料選挙宣伝番組の結果、これまでルーラ有利、アウキミン不利の形勢で推移してきた情勢にどのような変化が現れるのか、その結果次第で予選で決着が付くか、決選投票まで進まなければならないかが決まりそうだ。第1次投票(予選)の段階で、全有効投票総数の50%プラス1票という絶対過半数を獲得した候補が現れないと、上位2者に絞って、10月29日に第2次投票(決選)が実施されることになる。現役大統領の強みは否定できないにしても、TV やラジオでの宣伝番組以降、これまでの流れが変わり、結局ルーラ第1位、アウキミン第2位の順位で、決選投票の実施される公算の方大きいと観測する向きも多い。

ルーラ現大統領の再選続投となった場合、まず懸念されることは、PT という独自のその政治基盤の弱体化か避けられない状況にあり、仮に、これまで連立関係を組んできた有力政党の PMDB が引き続き与党陣営の中に残るにしても、この政党の持ち味は、最大多数の各州知事と国会議員を当選させることにより、これまでと変わらないフィジオロジズモ(利権誘導主義)を駆使して、大臣のポストや政府内の要職を分捕る政治取引にあり、先ず課題とする構造改革などの推進に支障をきたすような国会運営を強いられる事態がすでに予測されている。

ブラジルは、表向き brICs 諸国の一員として、少々注目され過ぎた嫌いが無きにしも非ずである。85年の民政復帰以降、タンクレド(サルネイ)、コーロル(イタマール)、FHC、ルーラと4つか5つの政権交代が見られたが、その間に記録された肝心の経済成長率は、平均して僅かに2.3%内外にとどまっている。  成長不足の国には、投資先として魅力が薄いし、やがて brICs 諸国の一員という美辞麗句も、消えて行かないとも限らない。ブラジル国内の雇用市場に毎年新しく参入してくる若い人たちは、240万人前後と見られ、それらを吸収していくには、少なくとも、年率4%の経済成長を記録する必要があると指摘されている。国内に4,500万人の貧困層がいて、何年経っても一向に減る気配がないのは、完全に成長不足が原因である。

ブラジル国内に現に住んでいて、いつも肌身で感じていることは、brICs 諸国の仲間だとか何とか美味しそうな宣伝文句に自己陶酔したり、自己喧伝する前に、政治家と経営者が経済成長という一つの方向に向って、足並みを揃え、確実にやるべきことを実行に移し、やってはならないこと、例えば、”右寄りの考え方をする政治家は右手で盗み、左寄りの考え方をする政治家は左手で盗み、さらに中道寄りの考え方をする政治家は両手で盗む”という風に、これまでずっと揶揄されてきたような悪い行為を厳に慎むことだと思う。そうすれば、黙っていても、外国の投資家は注目してくれるということである。