会報『ブラジル特報』 2006年
1月号掲載

                  坂野 正典(㈱住友商事総合研究所社長・前ブラジル住友商事社長)


2005年度化学品・石油化学部門の最優秀会社に選ばれたイハラブラス社


2005年9月16日、場所はサンパウロ市のJockey Club競馬場。サンパウロ州ソロカバ市にある農薬製造・販売会社のイハラブラス社(イ社)のエドソン・ナリタ取締役は、ニノミヤ社長の代理としてロドリゲス農林大臣から、ブラジル経済誌”ISTO E DINHEIRO”が選んだ2005年度化学品・石油化学部門の最優秀会社賞を受取った。イ社創立40年目の偉業であった。この日、イ社の他に表彰された会社は、銀行部門ではBanco Itau、航空会社部門のGol、スパーマーケット部門のPao de Acucar等々, ブラジル有数の会社が大半であった。この中でイ社は経営面のみならず、環境・社会的責任・人事・技術革新の各分野でも高い評価を取得し、今回の栄誉を勝ち取ったのである。

ブラジル農業と歩んだ40年間

イ社がミツイ・イハラ化学として設立された1965年のブラジルは、前年3月にカステロ・ブランコ将軍の指揮による軍部クーデターにより左翼政権が倒され、この先20年以上も続く軍事政権に移行した直後であった。1960年代前半のブラジル経済は、外資に大きく依存し、債務問題を抱え破綻の危機にあった。このような危機の1964年に誕生した軍事政権は、1968年から73年の「ブラジルの奇跡」といわれる経済発展に導く種々の経済政策を推進した。一方、当時のブラジル農業は、農業近代化の第一次推進期といわれ、国産の農業資機材を投入し、生産高を伸ばし始めた時期であった。この時代に誕生したイ社は、日本の農薬会社と商社の合弁会社として、日本の農薬を輸入販売する小規模な事業からスタートした。以降、40年の間にブラジル農業は大きく変貌した。特に1980年代に入ると、ブラジル農業は伝統的な農業生産に加え、農業関連産業が発展し、「アグリビジネス」(注)への転換をしていくこととなった。現在(2004年末)では、ブラジルのアグリビジネスは、GDPの30%、輸出総額の40%、雇用の37%を占める世界有数の規模となっている。ブラジル農業の発展とともに、イ社の業容も拡大し、今日では農薬の製剤・製造設備を有する製造・販売会社に成長した。イ社の主要製品は、国内向けの綿花、米、野菜用の農薬であり、2004年の売上は1億2,000万ドルでブラジル農薬市場の約3%を占めている。

アグロインベスチ・カヤタニの参画

日系人企業のイ社がブラジル企業として、今日の経営基盤を築き、大きく前進していく起点となったのは1984年のアグロインベスチ・カヤタニ(Agroinvest Kayatani)の参画であった。ア・カヤタニは名前の通り、アグリビジネス分野への投資を目的とした投資会社である。同社の主な出資者は日系人一世、ニ世で何らかの形で農業に関ってきた人々で構成された会社であった。この中にイ社の現社長、クニカズ・ニノミヤ氏もいた。ニノミヤ氏を含め、ア・カヤタニの関係者にとり農業それ自身が彼らの人生でもあった。これは、イ社の会社ロゴ ”Agricultura e a nossa vida – 農業はわれらが人生” として、今日でもイ社の事業精神のバックボーンとなっている。ア・カヤタニの参画(出資比率66%)により、成長への基盤ができると同時に、従来にも増して農業生産の現場に入り込み、生産者の声を自社製品の販売・製造にできる限り反映させていった。その一環として、1986年にはイ社自らが農業生産者となり、生産者の立場から自社製品の品質向上を目的に、バイア州の野菜農場(Bagisa)に出資した。現在では、化学・農薬メーカが農業生産者となる例は、大手同業他社に少なからず見られるが、この時代に小規模企業のイ社が自ら農業生産者になったのも、ア・インベスチ関係者が農業を自らの人生として捉え、常に農業への貢献に拘った結果であった。なお、イ社の成長にともないア・カヤタニの同社への出資比率は現在では18%まで下がり、代わって日本の化学・農薬メーカと商社がイ社の過半数を占めている。

近代的経営手法の導入

1985年に軍政から民政移管が実現するが、軍政時代の巨額の累積債務処理もあり、経済が停滞する一方、1994年7月のレアル・プランが導入されるまで、国内ではこれまで以上に激しいインフレに見舞われた。インフレ抑制政策は、ブラジルの経済基盤も安定し、政府の債務構造の変化により信用リスクも低下した今日でも、依然としてブラジルの優先経済政策の一つになっている。この間、ブラジルの農業は輸出を中心にブラジル経済の発展に大きく貢献した。この時期のイ社の業績は激しいインフレと不安定な為替レートにもかかわらず、小額ながら毎期の黒字を計上した。レアル・プランが開始された翌年に、カルドーゾ政権が誕生した時を同じくして、イ社の業績は飛躍的に拡大していくこととなった。その最大の要因は、イ社の現社長ニノミヤ氏が伝統的な経営が主体であったアグロビジネスに近代的経営の手法を導入したことであった。ニノミヤ氏は1984年のア・インベスチのイ社への参画にともないイ社に入社した。ニノミヤ氏は1964年にLuiz De Queiroz高等農学校を卒業し翌年、南米最大の農業協同組合に発展したコチア農業協同組合(農業関連以外の様々な分野に進出したためコチア産業組合とも呼ばれる)に入社し、ブラジル農業に関ることとなった。1993年にイ社の社長となったニノミヤ氏は、積極的に近代的経営手法を取り入れた。その代表例が債権回収である。ブラジルでのビジネスで多くの企業が経験するのは債権回収の問題である。特にアグリビジネスにおいては、農産物の収穫が天候に左右され、生産者の収入も相対的に不安定となる。したがい、債権回収率の向上は企業の業績に直結する大きな課題の一つである。この債権回収にニノミヤ社長が取り入れた手法は、財務部門の権限と関与を強化することであった。ブラジルの企業では販売部門に製品販売から債権回収まで一任するのが一般的だが、イ社では財務部門が大きな権限を持ち、客先との取引開始から代金(債権)回収まで深く関与する体制を確立した。これにより、イ社の債権回収率は飛躍的に改善され、現在では同業の多国籍企業と比較しても、はるかに高い回収率を誇っている。

「成功の方程式」と「ブラジルを信じて」

これら近代的経営手法の導入に加え、ニノミヤ社長は社員への経営理念の浸透にも努力した。同社長は京セラ名誉会長の稲盛和夫氏が主宰する盛和塾のメンバーとなっているが、ここで学んだ一つに ”成功の方程式” (結果=考え方×熱意×能力)がある。この方程式こそ1965年から今日に至るまで、イ社が歩んだ道程そのものであったといえる。すなわち、今日のイ社と従業員の成功は40年間にわたり、ブラジルとブラジル農業を信じ続け、最善とは何かを常に考え、仕事に熱意を持ち、自分の能力を最大限発揮した結果である。今日では、ブラジル経済も内外要因に左右されない堅固なものになり、国際競争力も高まった。しかしながら、克服すべき課題も未だ少なくない。これらの課題が早期に改善され、ブラジルを信じる多くの日系企業がブラジルに根付くことを期待したい。

(注)アグリビジネス:「農業agri」と「ビジネス(事業)business」をつなげる造語で、1950年代後半に米国の食料システムを農業の資材供給・生産・流通・加工・小売の各段階からなる垂直統合体として説明するために用いられたのが最初(久野秀二、北海道大学)


 


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ソロカバ市にあるイハラブラスの工場