会報『ブラジル特報』 2005年
3月号掲載

                       
桜井 敏浩(日本アマゾンアルミニウム㈱・拓殖大学講師)


台頭著しいBRICs

2003年10月に米国のゴールドマン・サックス証券が出したレポート『BRICsとともに見る夢-2050年への道』で登場した"BRICs"という造語は、定着した観がある。経済規模、潜在能力の代表的指標である人口と広大な国土をもつブラジル、ロシア、インド、中国の4カ国のGDPが、2050年までには現在の経済大国(G6-先進6カ国)を超えるという大胆な予測は、世界の注目を集めた。

確かに中国をはじめとするこれらの国々の近年の高成長、世界の工場、世界のIT産業の拠点、資源の宝庫という指摘を並べられると、それら諸国のこれからの発展・拡大の可能性は否定できない。その中にあって飛び抜けて成長が著しいのは中国とインドだが、ブラジルも今後50年でGDPは年平均3.6%伸び、経済規模は2025年にイタリアを、2031年にフランスを、2036年にはドイツをしのぐというのである。 
          
さらについ最近、米国のCIAの分析部門であるNIC(情報審議会)が、15年以内にブラジル
の経済規模は中国、インドを下回るものの、ロシア、インドネシア、南アフリカとともに、欧州の大部分の国を上回るとの報告を出している(エスタード・デ・サンパウロ紙)が、こういった予測の中に必ずブラジルが顔を出すようになったのは、1980年代の債務危機、90年代前半のハイパーインフレの記憶が根強く残っている日本では、いささか奇異に受け止められているかもしれない。

順調なルーラ政権の実績
            
2003年1月に発足したルーラ労働者党(PT)政権は、大統領選挙中にことさら危惧感を煽った国際金融界の一部の見方にもかかわらず、カルドーゾ前政権の経済安定優先政策を、愚直ともいえるほど堅持した。その後、当初の景気後退、失業率の上昇という、大統領選挙時の公約違反に早くも支持率が低下するという危機を乗り越え、2003年後半から経済の回復の兆候を徐々に確実にしながら2年目に入った。経済成長率は2003年の0.5%に対し5.2%の上昇が見込まれ、一口でいえば”期待以上の経済”であったといえる。この経済の復調によって、ルーラ大統領候補の最重要な公約の一つ失業率が低下の兆候を示し、支持率回復をもたらしている。そして、任期の折り返し点を過ぎた今年もまた、輸出は引き続き堅調で経常収支は黒字となり、外国投資の流入も140億ドル以上が見込まれ、4%の経済成長が実現できるとみられている。

         
では、ブラジルの経済は今後中長期的に伸びるであろうか? 昨年の経済の回復が、単に世界的な資源需要の急増や、生産とともに好調なアグリビジネス輸出だけに依存した一時的なものではないことは、2004年の工業生産が8.3%も伸び、内需も雇用の改善と所得の上昇が耐久消費財のみならず非耐久財の需要増大にまで及んできて、経済成長が全体的に軌道に乗り始めたことが示唆している。
    
ブラジルは、砂糖キビ、オレンジ、コーヒー、それに飼育牛の頭数では世界一、大豆も間もなく米国を抜いて世界一になることが確実であり、その他トウモロコシ、バナナ等熱帯果実といった農産物の生産において、世界有数の農業国であると同時に、鉄鉱石やボーキサイト・アルミナなどの鉱物、石油などの資源国であるが、近年は輸出の70%が工業製品であることが示すように、工業国としての地位を高めつつある。ハイテクの集合製品である中小型ジェット旅客機をはじめ、自動車、ビールなどでは、世界で上位の生産国になっており、豊かな資源の存在とフルセットの工業化の実現は、まさしく昔からいわれてきた”永遠の未来の国”が可能性を現実のものにしつつある。
        

資源安定供給源の再認識
    
この10年余、石油、鉄鉱、石炭や、鉄鋼、銅やアルミなどの非鉄金属、紙パルプなどの資源は、金さえあればいくらでも買えるので、わざわざ投資をしてまで確保する必要はないという認識が、日本などでは大勢を占めていた。それは冷戦終結後のパクスアメリカーナ体制の下での一時的な状況であって将来も続くという保証はなく、保険としても自前の開発輸入やブラジル等資源国との日頃からの緊密な関係維持を図るべきであるという意見(例えば、1999年鈴木勝也駐伯大使談-当時)は、真剣に省みられなかった。しかし、近年の世界的な資源・エネルギーの逼迫と価格の高騰は、この危惧を現実のものにした。
          
現在の世界的な資源需要急増の主因は、中国の高度成長の持続に端を発したものであるところが大きいが、資源・エネルギーの大口輸入国は、その逼迫による量的確保の困難と価格の高騰という制約が経済成長の阻害要因になりかねない。それら諸国に比べ、ブラジルは石油自給をほぼ達成したうえに、brICsの中では多種の資源の輸出力をもっているばかりでなく、さらに食料の供給余力があるという、同じ資源国ロシアにない優位性がある。ブラジルのアグリビジネス・鉱工業産品の輸出がこれから数十年にわたって成長の底力になるとみるのは、決して過大評価ではない。

経済外要因の再評価
          
しかしながら、依然としてbrICsの中ではもっぱら中国、それにインドがもて囃され、ロシアとともにブラジルは後塵を拝しているきらいがある。1980年代の債務危機以降の10年間の経済成長率が低いことから、抜本的な構造改革、すなわち貿易のさらなる開放と拡大、投資・貯蓄率の引き上げが必要であり、公的部門債務や対外債務が大きいという懸念材料を抱えていることを指摘し、楽観的な他の3カ国に比べて最も手厳しい評価を行っているように思われる。これらの課題は確かに存在し、その打開が必須であることは否定できないが、それより大きな視点での評価において、はたしてブラジルは”RICs”諸国より劣るであろうか?
  
brICs論の前提は、「正しい政策を採り続け」、予測した高成長が続けば、次の50年で世界経済においてこれら4カ国は大きな存在になるとしている。しかしながら、健全なマクロ経済運営を意味する正しい政策の継続は、当然のことながら政治と社会の安定がなければ行い得ない。
         
これらの国々の中で、ブラジルのほかにない特徴は、


① 相対的に民主主義が定着し、政権交替のルールが確立していること、


② 国内ならびに周辺に民族問題や宗教対立がほとんどないこと、

③ 同様に社会的安定を揺るがせる社会構造の歪み(政治的な特権階級や階級制
  度の存在)や地域間の対立感情が小さいこと、

④ 近隣国との間で軍事的緊張、外交的軋轢がないこと、


⑤ brICsの中では国家の企業活動への介入の度合いが少なく、市場経済が最も
  本来の姿で行われていることなどが挙げられる。

つまり、移行経済の途上にあって強力な政策指導と民主政治のバランスの試行錯誤中であったり、多言語に象徴される地域主義や身分制度という歴史的・社会的に難しい問題を抱えていたり、経済自由化を一党独裁を堅持する政治体制の下で行わざるを得ないRICs諸国に比べれば、ブラジルは広い意味での政治的リスクは最も低い。政権交替による政策の振れは予測可能範囲に収まるといっていいことは、先のカルドーゾ政権からかつて左派といわれた現ルーラ政権への政権交替をみても明らかである。もとより、貧富の格差縮小という大きな課題はあるものの、それがすぐブラジルにおいては社会的な大騒乱になるということは考え難い。
   
この10年間、カルドーゾ政権と"万年野党"であったルーラ労働者党政権が連続性のある政策を通じて、構造改革を進展させているといえるブラジルは、BRICsの中ではファンダメンタルにはいちばんリスクが小さな国であるといえるのではないだろうか。アジア、特に中国にあまりに傾斜している日本の海外投資が、このような基本的なリスク差違の認識を誤ることのないよう願ってやまない。