会報『ブラジル特報』 2011年5月号掲載
エッセイ

                      安田 彩(東京外国語大学外国語学部ポルトガル語専攻4年)


産業の町で日本語教師

 私は2009年3月から1年間、だるま塾という日本語学校を通して、サンパウロ州のピラシカーバという町で日本語教師として教壇に立っていました。ピラシカーバは、サンパウロ大学農学部(ESALQ)やUNIMEPなどの大きな大学を持つ学生の町であり、また郊外にはサトウキビ畑が広がる、COZANやHyundaiなどの大きな工場を持つ産業の町でもあります。
 町に日系は多くはなく、日本語が上手な人もあまりいませんでした。日系人会の会長もポルトガル語のほうが得意で、しかも会長自身とその兄弟はみんなガイジンと結婚した!と、他の日系人が笑っていました。町で一番日本語が喋れたのは15歳の女の子で、生まれた直後に両親が出稼ぎに行き、岡山で13年育った後にブラジルに帰ってきたという経歴の持ち主でした。彼女はメスチッサ(混血)なのですが、着いた最初の日には、まるっきり日本人の顔をしている人は日本語が喋れずに、「ガイジン」に見えるその女の子が日本人と変わらない日本語を喋っているのに大層戸惑いました。

日系文化が溢れる町
 そんな、ブラジル人と何ら変わりない日系人に慣れていたため、アチバイアの「花と苺祭り」にお邪魔した時は非常に驚きました。サンパウロから北に60kmほど行ったところにあるアチバイアは日系人移民が多かったところで、今でも日系文化が非常に強い町です。「花と苺祭り」は毎年9月の各週末に一か月間開催される大きなお祭りで、お花の展示会や苺の甘味が楽しめます。
 日系人文協では毎年餅や苺大福を売っているのですが、なんともち米を1トンつくそうで、屋台も非常に賑わっており、味も日本のものと何ら変わりません。文協の方たちは2世や3世の方も多いのに皆さん日本語が堪能で、地球の遠く反対側ですがそこのスペースだけはまるで日本のようでした。
 そして何より私が感動したもの、それは「盆踊り」でした。笛、太鼓、歌、すべてが生演奏で、やぐらを囲い日系・非日系が混ざって何重にもなって踊るさまに私は心が震えました。日本人移民の方たちが大事に守ってきた日本の心、そこにブラジルのダイナミックさが加わったまさに芸術でした。これほど感動的な盆踊りは、日本ではすでに見られないのではないかと思います。移民の方々の祖国への想いが長い間受け継がれ、3世4世の時代となった今でも生き続けていました。自らの日本人としての態度を考え直すほど感動的で衝撃的な盆踊りでした。

アチバイアの「花と苺祭り」にて、文協の方と日本人の友人と

親日を育んだ日本移民
 ブラジルでは、日本人でよかったと思うくらいに、「日本人」がステータス化されていると感じました。日本文化も浸透していて、街を歩けば「コニチワ」と話しかけられ、見渡せばマッチョな若者が漢字のタトゥーをし、ショッピングセンターでは苺やマンゴーの入った手巻き寿司が売られています。
 現在ブラジルはbrICsと呼ばれ、世界中からその成長が期待されており、日本からも多くの企業がブラジルへと進出しようとしています。ブラジルはきっと歓迎してくれるでしょう。その懐の広さに感謝するとともに、現在ブラジルがこれほど親日国となったのは、ひとえに100年前に地球の裏側へ渡り、苦労を重ねた末移民の方々が掴み取った信頼の賜物であるということを決して忘れてはいけないと思います。
 遠い異国の地で気高く生きた移民の方々の名に恥じぬよう、私たちも頑張らなければいけないなと感じました。そして私たちが何か移民の方に孝行できるとすれば、それはきっと日本で彼らの子孫である出稼ぎのブラジル人たちの手助けをすることでしょう。それが未来の両国の架け橋となる私たち学生が取り組んでいくべきことだと思っています。両国の友好のために、まずは小さなことでも出来ることから。仲間とともに、今年も頑張っていきます。