会報『ブラジル特報』 2011年月号掲載
ブラジル日本商工会議所 創立70周年に当たって

                          田中 信(第15代会頭)


日本ブラジル経済関係が「失われた20年」を脱し、活性化の軌道に乗ったのは、今世紀入り前後のトヨタ及びホンダが4輪車生産を開始した頃と軌を一にする。我が国の2大自動車メーカーのブラジル進出に呼応してそれぞれ数十社の部品、下請けなど関連メーカーがブラジルに進出、現在も数十社が進出を調査、検討中と伝えられている。

 2004年9月、当時の小泉総理大臣は総理としては9年ぶりのブラジル訪問を行った。次いで翌05年5月、ルーラ大統領は、これも大統領として9年ぶりに日本を公式訪問した。これら相互の首脳による交換訪問は、両国間の相互信頼関係を一段と強化するのに役立ったことはいうまでもない。

 2008年6月にはブラジル日本移民100周年記念式典が両国サイドで官民挙げて盛大に執り行なわれた。当会議所も、皇太子殿下を名誉総裁と仰ぐ百周年記念委員会役員のメンバーとして、日系社会挙げての多数の行事に協力するとともに、会議所主体行事として、日本とブラジルの有力紙と共催で経済シンポジュームを開催した。08年は日本ブラジル移民100周年に因んだ行事が毎日のように開催され、複数行事が同日同夜に重複することも珍しくなかった。

 2010年5月に70周年を迎えたブラジル日本商工会議所の会員社数は、1975年の総数330社(うち日本進出企業215社)をピークに減少を続けて来たが、08年の総数308社(うち日本進出企業157社)をボトムとして上昇傾向に転じ、10年末は327社(うち日本進出企業170社)となった。

 2008年6月、経産相として24年ぶりの甘利大臣の来訪を利用して官ベースで日本ブラジル貿易投資促進合同委員会が設立された。これにより両国経済関係は、従来からの民間主導の日本ブラジル経済合同委員会に加えて、官民合同で推進する体制が整ったことになる。

 最近の新興国の成長戦略はインフラ投資による社会資本の整備増強である。この市場で勝利を占めるにはパブリック、プライベイト、パートナーシップでの官民協調体制の重要性が強調される。

 ブラジルは地上デジタルTVに日本方式を採用したが、その後、「日本ブラジル方式」として発展し、南米の大部分の国が採用した。日本とブラジルの官民パートナーの信頼関係は100年間の積み重ねにより齎された結果といえよう。