会報『ブラジル特報』 2010年9月号掲載

                大隅 多一郎(元新日鐵南米事務所長)


 40年前、当時の日本と比べた経済規模(表−1参照)、またそれまでのUSIMINASへの鉄鋼協力を通しての日本人の苦労話から、ブラジルは未だ発展途上に留まった国ではないかとの印象の下、ブラジル国営鉱山会社ヴァーレ
Vale S.A.(当時の名前はCVRD:Companhia Vale do Rio Doce)と出会った。

 しかし、鉄鉱石取引を通して見たValeの対応、即ち野心的なマーケッティング、鉱山開発とその操業に関わる知見、鉱山業に付帯する輸送インフラ(鉄道と港湾)の構えに対する見識等に触れ、Valeの活動は、当時の日本企業あるいは欧米の企業に比べ、何等遜色が無いのではないかと感じさせられた。

 Valeの活動で際立っていたものは、1960年代後半、同社将来の大きな飛躍を目標に、大西洋水域の鉄鉱石shipperとして前例の無い、東洋のマーケット、即ち日本からの打診に応え日本向けに、自社の鉄鉱石販売の1/3を振り向けたことである。この方針は、当時のブラジルの鉱山エネルギー大臣であり、後にValeの社長となったElieser Batista の発想であった。

 この企画実現のため克服すべき課題、即ち鉄鉱石生産規模の拡大、鉄道の改修、港湾の新設等々、日本および欧米エンジニアリング会社の協力を取り付けることを含め、Valeはその解決を自社initiativeで推進し得る力を見せた。

 国営会社Valeの70年代前半の売り上げは6億米ドル強ではあったが、資源会社ゆえ、また健全な経営のゆえ、国際経済界ではブラジル政府より信用力が高く、それを用いてブラジル経済発展のため政府に代わって国内の地域開発発展の目的をもったDoce河流域の開発(鉄鉱山の拡張開発、植林・紙パルプのCENIBRAプロジェクト)、Tubar黍地区の発展(Pellet工場の建設、製鉄所CSTプロジェクトへの参加)そしてアマゾン地域の開発(ボーキサイト採掘、アルミナ製造のALNORTE、アルミ精錬のALBRAS等)大型プロジェクトの推進に当たっていた。

 鉄鉱石需要家に対するVale の対応も極めて妥当なものであり、鉄鉱石の需要家は鉄鋼業しかないこと、および鉄鉱石shipperが存在しなくなって一番困るのは鉄鋼業であることを理解し、お互いに共存・共栄の関係を維持発展させるのが最善との考え方を保持していた。

 第一次石油危機(1973年)後の世界経済停滞の中でも、自社の発展と将来の世界鉄鋼業発展のためCarajas鉱山 (世界最大の埋蔵量400億トン、US Steel−以下USS が49%持ち分所有) 開発の必要性を感じ、世界経済不況の中で呻吟していたUSSがCarajasの早期開発に躊躇すると、ブラジル政府と一体になって77年、USSからその持ち分を買い取り、日本・欧州の鉄鋼業の支援の下、直ちに同鉱山開発に踏み切った。このCarajas鉱山の開発が無ければ87年〜91年にかけての日本の好況、そして2003年からのChinaの爆発的鉄鋼増産対応の鉄鉱石供給は大きな制約に直面したものと思える。

 Valeがこのような考え方を保持し、世界の鉄鋼業界と理解しあえる関係を作り上げることができた理由の一つは、Valeの社員は長い期間継続してValeに勤めそこで育てられる者が多い、言い換えればValeの価値観が綿々と社内で受け継がれて来たということが指摘できる。
この価値観とは、Valeは単なる営利団体としての企業に留まるのではなく、ブラジルの経済・社会発展に寄与すると同時に、鉄鉱石取引を通して世界鉄鋼業の発展に寄与しそれを通して世界一流の鉱山会社に育ちあがって行くという考えであったように観察していた。

 1991年から始まったブラジルの国営企業民営化の中で、最大の目玉となったValeの民営化入札が、97年実行に移された。
世界中の鉄鋼業が注視したのは、世界の鉄鋼業界と共存共栄して行くとするValeの価値観が損なわれない形で民営化が実行されるかという点であった。日本鉄鋼業もこの懸念の下、ブラジル民間企業グループ、Anglo America とconsortiumを組み応札したが、Valeを落札したのは、ブラジル国営企業の年金基金と同国投資銀行(Bradesco銀行等)とに依り結成されたナショナリズムの匂いの強いconsortium   VALEPARであった。

 民営化後のValeの経営陣には、投資銀行出身者、年金基金の理事クラス等金融資本の発想を持つ人々が就任、Valeの文化と発想を築きあげて来た伝統の集団に数年の内に取って替わった。

 Valeの舵取りをする集団が大きく変化したその頃、中国経済、特に鉄鋼業の爆発的拡大が始まった。世界の鉄鉱石のマーケットはSeller’s Marketへと劇的に変化し、続いて招来された鉄鉱石マーケットの異常高騰は、販売量の急増と相まってValeに莫大なcash flowをもたらした。(表−2参照)

 (注) 鉄鉱石の価格交渉では、USC/DMTU(US Cent, per Dry Metric Ton Unit、つまり鉄分1%当たりの価格を決める)で交渉し、それにその取引時の鉄分%を掛け算して、トン当たりの鉄鉱石価格としている。US$/mtの数字は、ブラジル鉄鉱石の鉄分含有量を64%と仮定して計算したもの。(豪州鉱は通常鉄分62%ベースで計算)

 そしてValeにとっての最大の顧客は、Valeの発展を共に築いてきた日本から短期の市場変動に基づく取引に傾斜する中国へと代わり、日本に対しては、究極的には同じ運命共同体に属する仲間であるとの見方から、単なるマーケットの力関係で付き合う相手としての対応となった。同時に世界の鉄鋼業界も共存・共栄のパートナーから、単なるBuyerとして見られる存在に変わった。

鉄鉱石の価格決定も、短期の需給のみを反映したspot価格決定に近い決定が当然視されるようになり、鉄鋼業界・鉱山業界で資源課題を共有する雰囲気は希薄になった。

 急増するValeの莫大なcash flowを基に、同社は世界No.1の鉱山会社になる夢を実現する好機であると認識し、矢継ぎ早に海外における新たな買収計画を実行に移し始め、事業分野の拡大を始めた。

 2006年、ニッケルの世界No.1カナダのインコ社を180億米ドルで買収、その後は、ギニアのシマンドウ鉄鉱山(60年代後半から注目されていた)を29億米ドルで、Vale国営時代から手掛け始めたモザンビークのモアティース炭鉱の開発継続、豪州、コロンビアの石炭鉱区の獲得、ペル−の燐鉱石の開発へと進んだが、リーマンショックの悪影響で夢は実現していない。

 ブラジル国内では、鉄鉱石マーケットの確保を標榜し4か所に於いて鉄鋼プロジェクトに参加表明(一部は実行)しているが、これらはブラジル政府からの強い要請による地域開発への協力の意味合いが強く、Vale自身のinitiativeからは遠い。

 民間企業としてみれば、足下の順風満帆のValeの経営結果は見事なものであろう。しかし、かつてのValeを知る者から見て、そこには自社が世界No.1の鉱山会社になるという目的は見えても、どのような理念の下に世界No.1の鉱山会社になるのかという戦略目標が見えない。ブラジルの発展のために鉱山業を通して同国の地域発展に貢献するとともに、世界の鉄鋼業との相互理解・発展の上に自社の発展と世界経済発展に貢献するという、Valeが国営企業時代に保持していた企業理念は感じられない。

 鉄鉱石という商品の特性から要請された、世界の鉄鋼業と共存・共栄するとの理念が後退しているかに見えるValeとの今後の付き合いは、単なる商品市場での需給関係の中での取引に終始するのかと懸念が走る。Valeがこのような自社のあるべき姿をもう一度見直すには、1974〜2003年まで約30年間継続した世界経済のBuyer’s Marketの時代をもう一度経験する必要が有るのだろうか。

:本稿はあくまでも執筆者の個人的見解を述べたものである。