会報『ブラジル特報』 2010年1月号掲載

                               ヴァ-レS.A.Vale社の歴史


5大陸で活動するグローバル企業

 日本では多くの場合「リオドセ」の名前で知られているVale社は、Companhia Vale do Rio Doceとしてブラジル政府により1942年に設立された。1997年に民間企業になった。今日では5大陸で活動するグローバル企業となり、自社および系列傘下で10万人以上の従業員を擁する力と価値を誇っている。彼らは鉱物資源を富と持続可能な発展に変換するために情熱を持って仕事に励んでいる。

 Vale社の歴史はビトーリアとミナスを結ぶ鉄道建設と密接に関連しており、その鉄道建設プロジェクトに係わった英国人技師たちが、大規模な鉄の鉱脈がその地域に存在していることを知ったことに始まる。 Vit_ria-Minas鉄道会社(CEFVM)は1901年に設立され1904年に開業した。さまざまな国際的な投資グループが1909年にイタビラ市の近くに広大な土地を取得し、それらが集まってヘマタイト鉱石を採掘する目的のシンジケートである brazilian Hematite Syndicateを設立した。

 1911年には、米国人企業家の Percival Farquharがbrazilian Hematite Syndicateの全株式を取得して社名をItabira Iron Ore Companyに変更した。Get_lio Vargasが大統領に就任すると1930年の革命の先頭に立ち、それまで Farquharが所有していた鉄鉱脈を取得した。 Getu_lio Vargas大統領は、1942年6月1日に政令第4.325号に署名して、国営の会社としてVale社(Companhia Vale do Rio Doce)を設立し、「ワシントン協定」と称される条約において米国と英国の承認を得た。

 ブラジルは豊富な鉱物資源の埋蔵量を擁していたが需要はまだ少なく、Vale社はCompanhia Sider_rgica Nacional社をはじめとする国内の製鉄会社へ原料を供給していた。Vale社は1950年代の末には、年産約300~400万トンを採掘する小規模な会社に過ぎなかった。原鉱石の経済価値が低かったために、その売上高は小さかったのである。

 ブラジル政府は1952年にVale社の運営システムを完全にその支配下に置いた。鉄鉱石を初めて日本に輸出したのは1953年で、1962年には、8社の日本の製鉄会社と15年間にわたり、全体で年間5,000万トンの輸出契約が締結された。これにより、Vale社の生産高はほぼ2倍になった。1962年にVale社の鉄鉱石の生産高は約800万トンに達した。

 エスピリト・サント州のツバロン港が1966年に開港したことによって、Vale社は、年間1000万トンを超える生産高を記録して、急成長を遂げるという新たな段階に入った。

 1967年には、United States Steel Corp.の子会社のCia. Meridional de Mineracao社の地質学者たちが、パラー州のカラジャス鉱区に鉄鉱脈が存在していることを確認した。            

カラジャス鉄鉱山

世界最大の鉄鉱石輸出企業

 ツバロン(エスピリト・サント州)にある Vale社のペレット工場は1969年に操業が開始された。年間200万トンの生産能力を誇る最初のペレット工場であった。      

カラジャス鉱山の鉄鉱石積み出し港(マラニョン州サンルイス)

 1970年の協定によって、 Vale社はUS Steel Co.とともにカラジャス(パラー州)プロジェクトの大株主となった。その当時の総生産高は1,800万トンに達していた。

 鉱石の海外市場の16%を保有するに至った Vale社は、1974年には世界最大の鉄鉱石輸出企業となった。年産5,000万トンという信じられないほどの生産高に達した。当時国営企業であった同社が世界の鉄鉱石輸出をリードする存在になった年であり、それ以来その地位を失っていない。

 Vale社の主要な企業戦略目標と位置付けられたカラジャス鉄鉱石プロジェクトの導入が実際に始まった年が1979年であり、その翌年にはブラジル政府はカラジャス鉄鉱石プロジェクトを承認し、財政的な保証を与えた。

 Vale社の生産能力を増大させたカラジャス鉄鉱石プロジェクトの稼動が開始されたのが1985年で、現在では、ふたつの異なる物流システム(北および南)で構成されている。

1997年に民営化

 1997年に、Vale社はリオデジャネイロ証券取引所で実施された競売において民営化された。ブラジルのコンソーシャムはVale社の株式の41.73%を、33億3800万レアルで取得した。

SOCOIMEX, SAMItrI/SAMARCO, GIIC, FERTECO およびCAEMI/Mbrなどの鉄鉱石部門のさまざまな資産を取得した後、2006年にVale社は世界の主要なニッケル生産者のひとつであるINCO社の株式の75.66%を、約180億ドルで取得すると発表し、英/豪合弁のBHP Billiton社に次いで、鉱山業界において世界で2番目に大きな企業となった。

 Companhia Vale do RioDoceは2008年に、CVRDの略号の使用を止めてValeという夢のある名称を使用するようになり、翌年の5月には登記上の正式社名Companhia Vale do Rio DoceをVale S.A.に変更した。

<東京の事務所>

Vale社は1984年3月、 Rio Doce International Far East branchの名称で日本に事務所を開設した。当時、Vale社は米国と欧州にしか代表組織を有していなかった。日本事務所の開設は日本人から歓迎された。1993年4月に社名を「 Rio Doce Asia Corporation」に変更し、2009年7月

には「ヴァーレ.アジア株式会社」(Vale Asia K.K)に変更した。現在Vale社の東京事務所である「ヴァーレ.アジア(株)」は、港区愛宕の愛宕グリーンヒルズ森タワーにある。