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| 会報『ブラジル特報』 2010年9月号掲載 エッセイ ブラジルの野口英世について 吉水 卓見(医療法人茜会会長) 私は1979年10月に前任地の北京の日本大使館から在リオデジャネイロ日本国総領事館の領事として赴任して、1982年2月までブラジルで勤務して居りました。私の任期がようやく1年を過ぎた頃に、ある妙な事から、野口英世博士の話を聞くことがありました。そのきっかけは家内のところに日系人の宝石商の方が訪ねてきて、おもしろおかしく野口博士の落とし子がサンパウロの赤提灯のところにいるという話をしました。その話を妻から聞いた私は野口博士の子孫と会えるなら、これは一大事件だと思ったので、サンパウロにその落とし子を訪ねようと努力をしました。そんな努力をしましたので、その宝石商さんは外交官夫人(領事夫人)にふさわしい多くの宝石類を家内に購入させたことは事実で現実ですが、「野口博士の落とし子」の話は“南米ブラジル的な話”でした。
しかしそんなこんなで努力をしておりましたら、私が住んでおりましたリオデジャネイロの市内に、野口博士通りがあるということが判りました。たまたま医師免許を持っている私としては、医者であり、かつ偉人伝の伝記の人である野口博士のことをブラジルで聞いて驚いたのが現実です。野口博士は大正、昭和の日本の国内では偉人伝やいろんな書物で子供から大人まで、知っている方。そして現在では千円札にも先生の像が載っています。調査して、野口博士についての小論文を書くにあたり、もう一度野口博士のことをいろんな本を読んでみましたら、どの本にも博士がブラジルに行ったとは一行も書いていません。それから次に分かったことは、子供の頃に読んだ偉人伝の中では聖人君子のように書かれていましたが、それだけではなく、能力は有り、努力もするが、貧しく、苦労して育ったので、金持ちやパトロンや上司に気に入られるように振舞う事の出来る甘え上手な面とか、借金をしたり、またそれを踏み倒したりする才能も持っていたとか、自己宣伝の天才とか語学の天才とかの光も蔭も有る、人間臭い一面を持った人だということも分かりました。
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